八正道の「正念」をわかりやすく解説しました

あああ

「念」という言葉はいたるところに出てきます。「信念」や「想念」、「残念無念」など、私たちも普段から何気なく使っています。

この「念」という文字が入っている言葉に共通していることは「強い思い」が含まれているということです。

ここでは正しい念とはどういうものか、正しい念に沿った生活とはどういうものかを考えていきたいと思います。

思いと念のちがい

「思い」とは、普段私たちが心に浮かんでいることすべてを指します。

きれいな花を見れば美しいと思うでしょうし、淀んで黒ずんだ川を見ると汚いと思うでしょう。また、人から褒められれば嬉しく思うでしょうし、けなされれば悔しい思いに駆られるでしょう。

これらによって多かれ少なかれ心が動かされるかもしれませんが、この思いそのものに目的や願いはありません。

しかし、この思いが目的を持ち出すと「念」に変わってきます

例えば、人からけなされたことによって「よし、努力をしてあいつを見返してやろう」とか「けしからん。あいつをこらしめてやる」のように、目的を持った「強い思い」が「念」となるのです。

「努力をしてあいつを見返してやろう」という念は、場合によっては良い念になるかもしれませんが、「けしからん。あいつをこらしめてやる」という念は悪い念となってきます。

いずれにせよ、念は目的を持った強い思いであり、エネルギーの塊(かたまり)といえるものです。何を目的として使うかによって、人を幸福にも不幸にもできるものです。

人を幸福にする念は「正念(良い念)」であり、人を不幸にする念は「邪念(悪い念)」となります。

では、具体的に正念や邪念とはどういうものかをみていきましょう。

まず邪念からみていきます。

邪念

自分本位の思いからくる念はすべて邪念となります。

例えば、同じグループや職場に自分より能力が優れている人がいたとしましょう。
その人に対して嫉妬を抱き「失敗すればいいのに」とか「不幸になればいいのに」と思った場合は当然邪念となりますね。

「努力してあいつを見返してやろう」という思いは、一見良い念に見えるかもしれませんが、目的が相手を打ち負かすということであれば邪念となります。

仮に相手を打ち負かすことができたとき、今度は逆に相手の邪念を受けることになりかねません。

勝者も敗者も苦しむ

「臥薪嘗胆」という言葉があります。
悲願を達成するために、今は耐え忍ぶということから、座右の銘として受け取られていることが多いですが、「正念」からすれば大いに問題があります。

臥薪嘗胆の由来をかんたんに説明しますと

戦死した父の息子は、父の無念を晴らすまで薪(まき)の上で臥する(寝る)ことにします。痛い薪の上で寝ることで、相手への復讐心を忘れないためです。

その後、見事(?)に相手を打ち負かすことに成功するのですが、今度は相手からの復讐心を奮い立たせることになります。

相手は動物の苦い肝(きも)を嘗(な)めることで復讐の思いを忘れないようにします。
そしてついに相手から倒されてしまい、復讐を成功させることになります。

このことから、目標を達成するまで痛い薪の上に臥し、苦い肝を嘗めるという苦しみを味わい続ける「臥薪嘗胆」という言葉が生まれました

目標を達成するために苦労に耐え忍ぶということは良いことだと思いますが、中身に問題があります。目的が「相手を打ち負かす」ことだからです。

勝者となった者は、敗者からの苦しみや怨みの念を背負うことになり、いずれは敗者となる日が来ます。そしてこれが何度となく繰り返されるのです。

そこには心が休まるとき、安らぐときは微塵もありません。

「臥薪嘗胆」の毎日を送る間、ずっと相手への復讐の念を持ち続けているのです。とても正念とはいえないですね。

信念の落とし穴

若いころ、ある一冊の本を読みました。

信念を持ち続けると必ず願いは叶う、という内容の本です。
どういう信念かといいますと、すでに成功した自分の姿を思い浮かべるというものです。

  • 女性にモテたいときは、すでに女性からモテている自分を思い浮かべる
  • ライバルに勝ちたいときは、すでライバルに勝ち誇っている自分を思い浮かべる
  • お金持ちになりたいときは、すでに裕福な生活を送っている自分を思い浮かべる

当時の私はなるほど、と思いましたが飽き性の私は信念を持ち続けることができず、願いを叶えることはできませんでした。

ある知人は、この「信念の法則」をギャンブルに使ったそうです。
その知人はギャンブルの素人ですが、競馬にその信念の法則を使ったのです。自分が大当たりして喜んでいる光景をレース前に強く念じたのです。

その信念は見事に的中し、大勝利を収めたそうです。信念の力を実感した知人は、その後も馬券を買い続け、そして勝ち続けます。

しかし、その勝利も長続きはしなかったようです。あるときを境にして負け始めるのです。信念の法則を信じている知人は、懲りずに馬券を買い続けるのですが、全く勝てません。

気づいたときには儲けた金額の三倍の額をすってしまったとか。

競馬には得をして笑う人もいれば、損をして泣く人もいます。得をした人は泣く人の悔みや怒りの念を受けることになります。そしていずれは負ける日が来るのです。

信念を自分の欲を満たすために使ったことで、その反動を受けた例といえます。

いずれにしろ、自分本位に使う念はすべて「邪念」なのです。

正念

邪念が自分本位から来る念だとすると、正念はその逆、つまり相手を生かす念、相手の幸福を願う念ということになります。

要するに「自我がない」ということです。

自我がない

自我につきましては、般若心経の「色即是空」のところでも触れました。

自然界(色)には自我というものが無い(空)ということです。逆に言えば自我というものが無いから(空)自然界(色)が成り立っているということもできます。

詳細は下記をご参照ください。

「色即是空 空即是色」の読みかたと意味
般若心経「色即是空 空即是色」の読みかたと意味を解説しました。

これを自分に当てはめると、自我のない奉仕の心で相手のために尽くすことが相手を生かすことになり、相手の幸福につながることにもなります。

これがまさに「正念」なのです。

「念」とは「目的を持った強い思い」と述べましたが、思いだけではなく行動を伴います。相手のためを思い、相手のために行動して初めて「正念」なのです

お釈迦様も、ご自身の心の調和と人々の幸せを念じて瞑想されましたが、瞑想だけではなく伝道活動に力を注がれました。悟られてから45年もの長い年月をかけて渡り歩き、人々の心を癒し、救いの手を差し延べられています。

「念仏」だけで終わらない

「念仏」という言葉があります。文字どおり仏さまを念ずるということですが、多くの人は「お経を唱える」ことだと思っているのではないでしょうか。また、お経(念仏)を唱えることがお坊さんのお仕事だと思っているのではないでしょうか。

実際そのようなお坊さんがおられるかもしれません。それも正しいお経の意味も分からずに。仮に正しい意味を知っていたとしても、ただ座って念仏を唱えて終わり、ではあまり意味がありませんね。

仏さまを念ずるということは、仏さまに帰依することです。仏さまを信じて疑わないということです。だとすると、実際に仏さまの思いに沿った行動を起こす必要があります。行動を起こしてはじめて「念仏」といえるのです。

では、仏さまの思いに沿った行動とはどういうものでしょうか。

人のために尽くす

当然のことながら、私たちは働かないと生きていけません。ここでいう「働く」とは、仕事としてお給料をもらって働くということだけではありません。

朝起きてから夜休むまで、さまざまな行動をおこします。主婦の方でしたら炊事、洗濯、掃除などの家事全般や育児をするでしょうし、サラリーマンの方でしたら、会社に出かけてお給料をもらうためにせっせと仕事をします。学生さんでしたら、将来に備えて多くのことを学ぶことに力を注ぐでしょう。

これらの行動は全て「働く」です。

ただ自分自身の心のあり方次第で、これらの「働き」が「正念」になるか「邪念」になるかが分かれてきます

まず、邪念の働きを挙げてみましょう。

  • 不平不満の心を抱きながらする
  • 愚痴をこぼしながらする
  • 自分の利益だけを求める
  • 自分の欲求を満たす
  • 相手をおとしめる、打ち勝つ

これに対して、正念の働きを挙げてみると

  • 働くとは「ハタ(傍)」を「ラク(楽)」にすること
  • 自分のこと以上に人の幸福を念ずる
  • 見返りを目的としない
  • 自分の仕事の成果に固執しない
  • 不平の思いが出ても打ち消し、心に残さない

といったところでしょうか。

会社においては自分のことより会社のことを、家庭内では自分のことより家族のことを、友だち間では自分のことより友人のことを優先して考え、行動するようにします。

このように身を惜しまず、人のために尽くすことが仏さまの思いに沿った行動であるといえるのです。

このような献身奉仕に対しては、さぞお釈迦さまも喜んでくださることでしょう。

正念とは、人のために尽くすことが最終的には自分のためになること、人の幸福が自分の幸福につながると信じて働くことだということになります。

まとめ

以上のことから、正念についてまとめると

  1. 「念」とは、目的を持った強い思いである
  2. 「念」は行動を伴う
  3. 「邪念」とは自分本位の思いと行動
  4. 「正念」とは自我のない思いと行動
  5. 「正念」とは人のために尽くすことが、ひいては自分のためになると信じて働くこと
  6. 「正念」とは人の幸福が自分の幸福につながると信じて働くこと

ということになります。

ご参考にしていただければ幸いです。