八正道の「正命」をわかりやすく解説しました

あああ

正命とは、文字通り正しく命を全うすること、すなわち正しく生活をするということです。では、正しく生活をするとはどういうことでしょうか。

それは「無明」と「貪愛」から離れることです。

「無明」とは、本来無いものをあると見ることです。たとえば、私たちが常に掴んで離さないものに自我の心があります。「俺が」「私が」という心です。

「この家は俺が一所懸命に稼いで建てたものだ」とか
「この仕事が成功したのは私が頑張ったおかげだ」というものです。

仏さまの世界は調和の光一色であり、このような自我の思いは微塵もありません。本来無いものですから。この本来無いはずの自我の思いを掴んで離さないところに無明の苦しみがあるのです。

「貪愛」とは、さまざまな欲望から来る愛着や貪りといったものです。上の例でいえば、自分が建てた家に対する愛着や執着、自分が成功させた仕事に対する自負心、愛着がそれにあたるでしょう。

これらの思いはカルマから来るものです。カルマを持ち続けているかぎり苦悩と迷いは繰り返され、自分の運命が方向づけられていきます。

正しく生活をするとは、このカルマから離れることなのです。

ここではカルマとは何か、そこから離れるためにはどうすれば良いか、正命に適う生活を送るための方法をみていくことにしましょう。

カルマから離れる

カルマとは

「カルマ」とは何でしょうか。あまり一般的には聞いたことがない言葉かもしれませんね。

カルマとは人それぞれが持っている不調和な思いや考え、行動を指します。

また無明や貪愛からくる苦悩や迷いの思いを受け止める母体でもあります。そして、これを持ち続ける限り絶えず繰り返されるという性質も持っています。

日常生活の中での思いや考え、行動というものは、良いものも悪いものもすべて自分の心の中に記録されて蓄積されていきます。そして、外的条件によってそれが表面化されるのです。

  • 女性を見たら色情を起こす
  • パチンコ屋さんの前を通るとつい入ってしまう

このように、心に蓄積された思いや考えが表面化されたものがカルマなのです。理屈では悪い、いけないと分かっていてもつい繰り返してしまって離れられない力をカルマは持っています。

また、カルマは今現在だけのものかというとそうではありません。過去に何度となく転生を繰り返す中で積み上げられたものなので、そうカンタンに消すことはできないのです。

カルマの種類

カルマにはどのようなものがあるかといえば、

  • 甘えや愚痴
  • 怒り
  • 移り気、日和見
  • 好き嫌い
  • 開放的、閉鎖的
  • 虚栄心、妄想
  • 優越感、劣等感

などが挙げられます。実際はこれだけにとどまらず、70億人の人がいるとすれば70種類のカルマがあるといっても過言ではありません。これらのカルマが自分自身を動かし、それぞれの生きかたが形成され、また運命が方向づけられていくのです。

では、このカルマというものはどのようにして生じるのでしょうか

カルマは身口意から生じる

カルマは身口意(しんくい)から生じます。つまり、「身」と「口」と「意」です。一つひとつみていきましょう。

身(しん)

身は肉体を指します。肉体そのものは無常であり、いずれは朽ちて土に帰っていくものですが、その肉体にまつわるさまざまな自己本位の思いが問題なのです。

男女の別に始まり、体の大小、美醜、健康か病弱か、などの肉体環境が基本となって、差別意識、性格、好みや考えかたが生まれ、カルマとなっていくのです。

口(く)

口とは、口にするものであり、言葉や食べものがこれにあたります。

まず言葉については「正語」の項で述べた通り、人を生かすも殺すも言葉の使いかた一つにあります。人を生かさない自己本位から来る言葉はすべてカルマといっていいでしょう。

また食べるものによって性格が変わってきます。肉食の生活をしていると気性が荒くて闘争的になりやすく、草食の生活をし

ている人は温和な傾向にあることが多いようです。

日本人と西洋人では食生活が異なるので、考えかたも大きく変わっています。このように食べるものによってカルマが育てられていくのです。

意(い)

意は自分の思いなり想念を指します。身を飾り、口を動かすことで、ものの考えかたや想念が方向づけられ、心のクセが作られていくのです。

身も口も意も、本来は法という真理を体得するためのものであって、カルマを生じさせるものではないのです。しかし、自我という無明からこれらの身口意に翻弄され、カルマとなって自分自身を苦しめてしまうのです。

正命はこのカルマから離れる生活を送ることです。ではどうすればカルマから離れることができるのでしょうか。それにはまず自分はどういうカルマを持っているのかを知ることが必要になってきます。

自分のカルマを見つける

自分がどのようなカルマを持っているかを調べるには、子どものころから現在までの自分の生活態度をかえりみることです。その中で全年代を通して表面化されているものが自分のカルマだといえます。

例えば、子どものころから両親に過保護に育てられてきたとします。自分の言うことは何でも通り、自分の思い通りに物事が進んできたところから我がままになり、楽を求める心が強くなったとすれば、それがカルマとなります。自分の思い通りに進まないことがあるとスグに怒ってしまうとすればそれもカルマですね。

逆に両親から厳格に育てられたとします。常に我慢を強いられ、両親の顔色をうかがいながら慎重に行動しているところから閉鎖的になったり、人を信じ無くなったり、人に親切になれなくなったとすれば、それがその人のカルマとなります。

このように、自分の子どものころからの生活習慣、思っていたことや感じていたこと、行動パターンを振り返ることで自分のカルマが見えてきます。

正命に適う生活を送る

在家で義務を果たす

自分の心のクセや行動パターンが分かれば、あとはそこから離れた生活を送ることです。しかしそう簡単にカルマから抜け出すことはできません。地球が太陽の周りをぐるぐると回り続けるように、カルマの思いと行動も絶えず繰り返してしまいます。

お釈迦様が出家されたのは、まさにこの繰り返しの生活から離れるためであったといえます。出家とは地上の生活習慣の鎖を断ち切る斧のような役割を果たすものだからです。

しかし、普通の人に出家をしろと言っても無理な話です。実際地上の人全員が出家したとすれば、たちまち生活が行き詰ります。食べものや住む場所、着るものなどを作ったり売ったりする人がいなくなるからです。

ではどうするか。私たち普通の人は在家にいながら与えられた義務を果たしていくということになるでしょう。正見、正思、正語、正業という正法の実践がカルマから離れる斧の役割を果たすのです。

悪友から離れる

猛獣は恐れなくても悪友は恐れなければならない

という言葉があります。猛獣が襲ってきても危害を加えるのは肉体だけですが、悪友は心を打ち砕きます。

お釈迦様も「全なる智慧に至らぬ間は友を選び、たえず心を清浄にしておくこと」と戒められたそうです。

お釈迦様からすれば、どんな人が相手でも心を動かされることはありませんが、普通の人(特に人生経験の乏しい若い人)だと、友人によって心が動かされてしまうものです。友人によって運命が良くも悪くもなるといっても過言ではありません。

いざというときには本当に助けになり、慰め、勇気を与えてくれる人が良い友人であるでしょう。それに対して賭け事が大好きな人、好戦的な人は争いの種を撒くことが多いので、そのような人には近づかないことです。

思いの転換

「正進」にもつながることですが、思いや考えを転換し、定めることも正命の生活には欠かせません。

  • 食べものは体を維持するためであり、美食を味わうためではない
  • 体を維持するのは、法という道理を理解し人に伝えるためであり、快楽を貪るためではない
  • 食を口にしたときは節約を知り、粗食を口にしたときは感謝の心を忘れない
  • 自分にとって良いことが起これば、油断をして有頂天にならないよう自分を戒める
  • 自分にとって悪いことが起これば、暗くならずに良いことの門出だと思う

このようにして、想念を変えることで正命に適った生活につなげていくのです。

自分を振り返る

少欲知足の生活になじみ、心が広がって気持ちが落ち着いたときに、もう一度自分を振り返ってみましょう。自分の心と実生活との間に食い違いがないかどうか。第三者の目線で自分を眺め、あらためて自分の心を見直します。心と生活が一致していればその生活を続け、もし食い違いがあるとすればそれを正します。

これを繰り返して正命の生活を自分のものにしていくことで、少しずつカルマの循環から離れていきます。カルマの循環から離れることで感謝と報恩の気持ちが湧き、明るく笑いに満ちた生活が実現されます。

この明るく笑いに満ちた生活こそが正命なのです。

まとめ

以上、正命(正しく生活をする)をまとめると

  1. 正命とはカルマから離れた生活を送ることにある
  2. カルマとは人それぞれが持っている不調和な思いや考え、行動を指す
  3. カルマは身口意(しんくい)から生じるもの
  4. 自分はどのようなカルマを持っているかを見つける
  5. 自分のカルマが解ればそれを正す
  6. カルマから離れ、正命に適った生活を送る

以上のように挙げられます。ご参考にしていただければ幸いです。