八正道の「正定」をわかりやすく解説しました

正ていは

正定とは、「正しく定(じょう)に入る」ということです。

定に入るとは、神仏に思いを定めるということです。思いを定めることで信の心を揺るぎないものにしていきます

ここでは、思いを定めるとはどういうことか、また思いを定めるにはどうすれば良いかをお伝えし、「正見」から始まった八正道を、この「正定」で締めくくりたいと思います。

思いを定めるには

思いを定めるためには、まず自分の心が安定していなければなりません。とはいっても心というものはとても脆く、コロコロと移り変わるという性質を持っています。

朝起きたときはとても体調がよく、すがすがしい思いでお仕事にでかけたとしても、赤信号で思いのほか待たされたり、突然の雨に打たれたり、人混みの中で思うように進めないといった、ホンのささいなことでもカンタンにイラついたり落ち込んだりするものです。

また感動的なテレビ番組を観たり、心鎮まる音楽に癒されたりすることで優しい気持ちになったとしても、いざ外に出かけていろんな人やできごとに出くわしたとたん、すぐに「損した得した」の世界に舞い戻ってしまいます。

それほど人の心はアテにならない、信用できないものなのです。

なぜ自分の心はこんなにコロコロと動いてしまうのか。どんな場面で喜びや悲しみの心を抱き、動かされてしまうのか。

そんな自分の心を見つめ直し、安定させる方法として「自己反省」があります。

自己反省をする

煩悩即菩提という言葉があります。これは悪(煩悩)がそのまま善(菩提)であるということではなく、悪も善も知ったうえで、それを超えたところに道理があるということです。片寄った想念や行為、執着のとらわれから離れること、つまり中道の道理が煩悩即菩提なのです。

自分の良いところ、悪いところを公平にながめ、どちらにも偏らない眼で自己反省を進めてまいりましょう。

自己反省の目的

自己反省は、今まで気づかなかった自己に気づくために行います。

自分の心を掘り下げてみて、どういうときに喜びまたは悲しみ、どんな場面で怒り、楽しんだのか。またそれは自分が持つどのような性質から来るものなのか。

この疑問追究の作業を進めることで、自分のモノの見かたが公平になり、冷静な判断ができるようになります。そして誤りの少ない人生を送ることが可能になってきます。また自己反省を進めることで自分の心が広がり、発想力が高まってきます。仏教的に言えば「智慧が湧いてくる」といってもいいでしょう。

自己反省の方法

まず、心が落ち着きやすいように静かな場所を確保します。騒音が激しかったり人の行き来が多い場所だと自己反省は思うように進まないでしょう。

次に自分を二人に分けます。「見ている自己」と「見られている自己」の二人です。
見られている自己とは、テレビドラマのようにテレビの中でドラマを演じている自分であり、見ている自己とは、そのドラマを見ている自分ということになります。

このテレビドラマの中の自分、つまり「見られている自己」は、生まれてから現在まで実際に持っていた思いや取った行動をそのまま演じます。「見ている自己」はドラマの中の自分を客観的に、冷静に観ていきます。

観ていくポイントは以下のとおりです。

1.両親に対しての感謝と報恩

現在の自分が持っている心のクセの多くは、子どものころ形成されていることが多いものです。子どもの頃の自分を年代順に追いながら反省を進めていきます。ドラマの中の自分は子どもですが、それを見ているのは現在の自分です。

現在の自分の眼で子どものころの自分は両親からどれだけお世話になってきたか、受けた恩に対してどれほどの感謝の思いを持ってきたか、また受けた恩に対してどれだけのお返しができたかを観ていきます。

2.日常生活における怒りや愚痴、不安の思いについて

日々の生活の中で怒りの思いが湧いたり、喜んだり、不安の心を抱いたりすることがあると思いますが、人によって怒ったり喜んだり不安を抱いたりするポイントはちがいます。

同じ場面の中で、周りの人は怒っていないのに自分だけが怒っている、またはその逆の場面があると思います。ではなぜ自分だけが怒りを抑えられないのか、その原因はどこにあるのかを調べていきます。

その中で、「自分は人の言うことをよく聞いていない」とか「自分は自己主張が強い」とか「自分は日頃から愚痴をこぼしている」などのようなことが発見されてくるでしょう。それは自分の「心のクセ」というものです。

では、その心のクセはどこから生じたのかを調べてみると、子どものころにさかのぼるかもしれません。家庭環境であったり、兄弟関係や友人関係によるものか、ということが分かってくるでしょう。自分の心のクセとその原因が分かれば、そのクセを改めることで人との調和が少しずつ容易になり、心が軽くなってきます。

このように反省を繰り返していきます。

3.ふと心の中から湧き上がる思いを追究する

あらかじめ反省の時間を作って反省を進めるという以外に、日常生活の中で独りでいるときに、ふと心の中から湧き上がってくる思いを追究するという方法もあります。

仕事をしているときや家事をしているとき、また散歩しているとき、お風呂でリラックスしているときなど、ふと仕事に対する不安やしばらく会っていない人のこと、また家庭のことなど、人によってさまざまですが、いろんな思いが湧いてくることがあると思います。

独りになったときに、ふと湧いてくる思いは、自分の心のクセ(カルマ)に関連していることが多いものです。その場では時間がないでしょうから、それをメモなどに取っておいて、改めて時間のあるときに深堀りしていきます。そのときなぜそのような思いが出たのか。その中身を掘り下げることで自分の心のクセが明らかになり、前段のような方法で心のクセを改めていきます。

このように、「見られている自己」を「見ている自己」が冷静な眼で観ることで、八正道の正見や正思、正語に沿った道理の理解が深まってくるのです。

自己反省の効果

反省を習慣づけることで、「見られている自己」から「見ている自己」へと進むことができます。

見られている自己とは、自己中心でコロコロと感情が揺れ動き、利害得失だけに判断基準を置く自分です。こういう人ほど「自分は正常だ」と思う傾向があります。お酒に酔っぱらっている人ほど「自分は酔っていない」と言うのと同じです。自分自身とその周りが見えていないだけのことです。

見ている自己とは、冷静で公平な眼を持ち、豊かな感情を持ち合わせている自分です。冷静であるから大事な場面で正しい判断をすることができ、誤りの少ない生活を送ることができます。また自分自身を冷静に見ているので「自分は果たして正常だろうか」と常に自分に問いかけ、自分を振り返ることを欠かしません。

このように「見ている自己」になることで、八正道の教えが無理なく日常生活の中に生かされるようになります。

禅定瞑想

よく「正定」は正しく定に入ることだから、すぐ禅定瞑想のことだと思われる方が多いかもしれませんが、まず前段までに行った「自己反省」が不可欠です。まず自己反省を通して、冷静な眼と豊かな感情を持って「見ている自己」の立場に立つことが先だからです。

見ている自己の立場で、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八正道の道理が理解され、それが生活に生かされるようになって初めて禅定瞑想をする準備が整ったといえます。

禅定瞑想の目的は、「勝った負けた」「損した得した」などに一喜一憂する小さな自己から解放すること、片寄った想念や行為、執着のとらわれから離れることにあります。

では、禅定瞑想を進めるうえでのポイントを以下に挙げます。

禅定瞑想のポイント

リラックスをする

まず楽な姿勢で坐ります。肩の力を抜き、ゆっくりと息を吐き出して呼吸を整え心を鎮めます。

坐りかたは、結跏趺坐(けっかふざ)といって、左右の足の甲を反対の足のももの上に交差し、足の裏が上を向くように組む坐りかたが理想ですが、慣れない人には苦痛でしょうから、最初は片方の足の甲だけを反対の足のももに乗せる半跏趺坐(はんかふざ)でも問題ありません。

静かな場所で行う

自己反省のときと同様、雑音が入らない静かな場所を選びます。となると早朝または夜になるかと思いますが、夜は日中の疲れが溜まっていることが多いので、早朝の方がおすすめです。

半眼で行う

眼は開けると心が乱れやすくなり、閉じると眠気に襲われてしまいますから、開くでもなく閉じるでもない「半眼」にします。視線は1、2メートル先の下を見るようにします。

雑念にとらわれない

慣れないうちは、次から次へと雑念が湧いてきて、それにとらわれてしまいがちです。そんなときは心の中で大きな光の輪を描き、その中に自分が入って光に満たされているイメージを描きます。これに意識を集中するようにして雑念にとらわれないようにします。

異変が生じたらすぐにやめる

禅定中に頭が痛くなったり、気分が悪くなったり、息苦しくなるような異変が生じたときはすぐにやめてください。良からぬ魔が近づいてちょっかいを出しているかもしれません。

もともと魔というものは自分の心の中から生じているものですが、自分の中にある良からぬ思いが、外からの魔を招き寄せているという場合もあります。ですから、まず禅定を始める前に自己反省を重ね、正しいものの見かたや冷静な心を養っておく必要があるということです。

禅定をしてはいけない人とは

何ごとにおいても、極端な人、節度を守れない人は禅定をしてはならないでしょう。
例えば、極端に食べ過ぎる人、極端に寝すぎる人、極端に飲みすぎる人など、自分に自制が効かない人ということですね。

修行という名において、極端に自分の体を痛めるような荒行をする人も、禅定には向いていません。こういう人にも良からぬ魔が近づいてきて、その人を支配しようとするからです。

まとめ

以上、正定についてまとめますと、

  1. 正定とは、神仏に思いを定めて、信を揺るぎないものにすること
  2. 思いを定めるためには、自分の心を安定させることが必要
  3. 自分の心を安定させるためには、自己反省が不可欠
  4. 自分の心が安定し、八正道の道理に適った生活ができることで禅定瞑想の準備が整う
  5. 禅定瞑想を通して、喜怒哀楽に揺れる小さな自己から解放し、片寄りのない想念と行為、執着のとらわれから離れることを目指す

八正道は、お釈迦様が物事の価値判断の基準として示されたものです。現代のように自分の利益だけを追い求めて他人のことはお構いなし、という節操のない社会の中では、他を生かす共通の判断基準が失われてしまいます。

一人ひとりが八正道の道理を理解し、生活の中に生かしていくことで、お互いが他を生かし合う、共通の価値判断ができあがります。それをみんなで共有し合うことで、お釈迦様が望まれる平和な社会が訪れるということです。

八正道は、学んだだけでも、理解しただけでも意味がありません。実行して生活の中に生かすことで初めて八正道が意味あるものとなるのです。

そのためには、まず自分が変わることから始めましょう。