地獄も極楽もすべて自分の心がつくり出す

先日、しばらく録り溜められていた番組をまとめて観ていたところ、こんな番組がありました。

「お箸はどれだけ長いと食べられないか?」

出典:日本テレビ「月曜から夜ふかし」

という企画です。番組のスタッフがラーメンを食べるのですが、お箸の長さをどんどん長くしていき、どの長さまで食べることができるかというものです。

結果的には1メートルくらいで食べられなくなったのですが、そこでふとある話を思い出しました。

数十年も前に訪れた滋賀県の小浜市で聞いた話です。

小浜市はお箸の生産で有名な都市で、私もお箸作りを体験したのですが、そのときに店主の方がこんなお話をしてくださったのです。

昔あるところに、地獄と極楽を見学した男がいました。最初に地獄へ行ってみると、そこはちょうど食事の時間でした。食卓の両側には地獄の住人がずらりと並んでいます。

「地獄のことだから、きっと粗末な食事にちがいない」と思って食卓の上を見ると、なんと豪華な料理が並んでいるではありませんか。それなのに、みんなガリガリにやせこけているのです。

「おかしいぞ」と思ってよく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。1メートル以上はあるでしょうか。地獄の住人たちは、その長い箸を必死に動かして料理を自分の口へ入れようとするのですが、うまく入りません。イライラして怒りだす人もいます。そのうち隣の人が箸でつまんだ料理を奪い合う争いが始まりました。

出典:富士市立田子浦小学校

男は地獄をあとにして極楽へ向かいました。するとここも食事の時間らしく、極楽の住人たちが食卓前に並んでいました。

驚いたことに、この極楽の住人も地獄と同じように長い箸を握っているのです。それなのにみんなおだやかな表情で肌の色つやも良さげです。地獄のようにガリガリにやせこけている人は一人もいません。

出典:富士市立田子浦小学校

「いったい、地獄と極楽はどこがちがうのだろうか?」とふしぎに思っているところで食事が始まりました。極楽の住人たちは、長い箸で料理をはさむと「どうぞ」と言って向かいの人に食べさせたのです。相手は「ありがとうございます。今度は私の番ですね。はいどうぞ」と、自分にも食べさせてくれたのです。このようにしてお互いに食べさせ合うことで、すぐにみんなは満腹になったのです。

自分のことばかりを考えている地獄の住人たちは争いが絶えず、相手のことを思いやっている極楽の住人は仲良く暮らせるのだということを男は学んだということです。

このお話の出典を調べてみましたが、仏教やらユダヤ教やらと諸説あってよく分かりませんが、当時はなるほどと感心したのを覚えています。

さて。

ここで分かることは、自分に与えられた環境を極楽にするか、それとも地獄にするかは、すべて自分の心次第であるということです。

自分にとって不運なできごとが続くと「何て自分はツイていないんだ」と嘆き、なぜ自分ばかりがこんな不運な目に遭うのかと被害者意識に揺れてしまうものです。そして、ホンのささいなできごとも悲観的に受け取るクセがつき、ますます自分の心を暗くさせてしまいます。こうして不運の連鎖を生み出し、なかなか幸運はやって来なくなるでしょう。自分で自分の心に地獄をつくり出しているからです。

ではどうすれば自分の心に極楽を作り出すことができるのでしょうか。

自分にとって不運なできごとが起きたときは「こういうこともあるさ」と冷静に受け止め、暗い思いは残さないようにします。さらに「これで自分のカルマが一つ減った」と思うことができれば、自分の心を明るくすることさえできます。こうして不運のときが過ぎ去るまでじっと耐えていると、いずれ幸運がやってくるでしょう。

このようにものごとを明るく受け止めるクセをつけることで、自分の心の中に極楽をつくることができます。

この世は相対的にできているので一方に偏ることはありません。モノに光が当たれば、明るい面と暗い陰の面ができます。晴れ渡る日があれば土砂降りの日もあります。同じように幸運があれば不運もあります。不運だけを取り上げて嘆いていると、決して幸運はやってきません。不運の風が過ぎ去るまでじっとこらえて待つことです。いずれ不運の風は過ぎ去り、幸運の風はやってきます。

このようにして自分の心の中に極楽を作り出すことで運命は開けてきます。

以上のことから地獄も極楽も、すべて自分の心がつくり出すものだということが分かりますね。

私も自分の心に極楽をつくりだすよう心掛けたいと思います。