自殺者の行き先は地獄です〜連鎖が起きないよう強く願います

先日女優の竹内結子さんが40歳の若さでこの世を去りました。
原因は首吊り自殺と見られています。

才能あふれる若い女優さんが若くして自分で命を断つことはとても痛ましいことです。
心より冥福をお祈りします。

これで、このわずか2か月の間で著名な芸能人が4人も自殺で亡くなったことになります。芸能界というところはよほど厳しい世界なのかもしれません。

今年は新型コロナウィルスによっても志村けんさんを始め、テレビでなじみ深い人たちが亡くなられたことを知り、私も死というもののはかなさと、自分が今生かされていることに対する感謝の気持ちを新たにしたものです。

ただこの方たちは死にたくて死んだのではなく、懸命に生きようという願いも叶わず亡くなってしまったのです。

それに対し、竹内さんは「自殺」という自分で死を選んでしまったということがとても残念でなりません。



厚生労働省の統計によれば、令和元年(2019年)の自殺者数は20,169名ということで、平成15年(2003年)の34,427名をピークに減少傾向にあります。

減ることは良いことではありますが、それでも年間で2万人ということは1日で55人、1時間のうちに2人以上の人が自分で死を選んでいるということになりますので、とても喜んでいられる状況ではありませんね。

自殺の原因は、人によって色んな事情や環境が絡んでいますので、一概に「自殺の原因はこれです」とはいえないと思いますが、多くは健康に対する問題、経済的な問題、家庭内の問題、仕事上の問題…と続くようです。

原因は何であれ自分で命を断つということは、この世での苦しくて辛い生活から逃れたいという思いからくるのでしょう。ではあの世に行けば、これらの苦しみから逃れられるのでしょうか。

ここで一つの仏説を紹介しましょう。

お釈迦さまが托鉢の道中、大きな橋の上で一人の娘がたもとに石を入れているのを見かけます。自殺をするに違いないと感じたお釈迦さまはその娘に近づき、事情を尋ねられました。相手がお釈迦さまと分かった娘は、心を開いて苦しみのすべてを打ち明けました。

「私はある人を愛しましたが、捨てられてしまいました。世間の目は冷たく、お腹の子どもの将来などを考えますと、いっそ死んだほうがどんなにましだろうかと苦しむばかりです。どうかこのまま死なせてくださいませ。」と泣き崩れました。

お釈迦さま哀れに思われ「不憫なあなたには、たとえをもって話しましょう。」と言って譬え話を始められました。

あるところに、重荷を積んだ車を毎日、朝から晩まで引かねばならない牛がいた。

その牛は思った。

「なぜ自分だけが毎日こんなに苦しまなければならないのだ。」
「この車さえなければオレは苦しまなくてすむのではないか。」
そう思った牛は車を壊すことを決意し、車を大きな石に打ち当てて、粉々に壊してしまったのだ。

車を壊された飼い主は驚き、「こんな乱暴な牛には、もっと頑丈な車でなければまた壊される」といって、これまでよりはるかに頑丈な鋼鉄製の車をつくってきた。

その車は、以前の何十倍もの重さであった。その車で重荷を、今までのように毎日引かされて、以前の何百倍もの苦しみを負わされるようになった牛は、今さら壊すこともできず、深く後悔したが後の祭りであった。

自分を苦しめているのはこの車だと考えた牛は、車さえ無くなれば自分は苦しまなくてすむと思ったのだ。それと同じように、あなたはこの肉体さえ無くなれば苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。

あなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならない。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、大きくて深い苦しみなのだ。

娘は、自分の愚かな考えを深く反省し、お釈迦さまの教えを真剣に聞くようになり、幸せな生涯を生き抜いたという。

世間では「人間には生きる権利があるのだから、死ぬ権利もある」として安楽死や尊厳死を肯定する向きもありますが、神さま側からすればとんでもないまちがいです。

実際は死ぬ権利どころか、生きる権利すらも与えられていません。「神さまによって生かされている」というのが正しい表現です。生きるも死ぬも神さまのご意志ひとつにかかっているからです。この世の肉体は神さまから与えられている乗りものに過ぎないのです。自分のものではありません。

もし肉体が自分のものであるというなら、心臓を止めることも動かすことも自由にできるはずです。背を伸ばすことも縮めることも可能なはずです。それができないということは、肉体は自分のものでは無いということです。

この世に動物としてではなく、人間として生を享けたことは神さまのご慈悲以外の何ものでもありません。その生を自分で断つということは、神さまのご慈悲を無にしてしまうこと、つまり神さまに対する冒瀆であるということなのです。自殺によって死んだ人の行き先は地獄です。神さまを冒瀆したのですから仕方ないでしょう。

「神さまは、乗り越えられない試練を与えることはない」

よく言われることですが、その通りだと思います。どんなに苦しいことがあっても神さまを信じて、与えられた義務を一つ一つ果たしていけば、必ず乗り越えられるはずです。

才能あふれる若い命が断たれたということは、とても残念なことです。

自殺者の行き先はこの世の苦しみをはるかに超える苦しみが待つ地獄だということを肝に銘じ、これに感化されて自殺の連鎖が起きないよう強く願います。