「是故空中 無色 無受想行識」の読みかたと意味

読みかたは以下のとおりです。

是故空中ぜこくうちゅう 無色むしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき

この文の意味をみていきましょう。

是故(ぜこ)
ゆえ

ここは、前段の「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」を受けています。
空中(くうちゅう)
(自我の思いから来る苦や迷いの無い)「空」の世界には
無色(むしき)
体(への執着)が無い

五蘊(色受想行識)のうちの「色」です。「色」は体そのものを指しています。
ここでは敢えて「色」の意味としての「体」の後に「への執着」と付け加えました。というのは「色」が指す「体」は自我による思いからできたわけではなく、神様が創られたものだからです。人間が作り出したものではありません。ですから体そのものが「無い」のではなく、体への執着心が(空の世界には)無いということです。
無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
「受想行識」(の心が作り出す自我や苦、迷い)が無い

五蘊(色受想行識)のうちの「受想行識」です。「色」の体の後に続く「受想行識」は、その体が受ける感覚や心、行為を指します。

意訳をまとめると…

(前段を受けて)
それ故に、自我による苦や迷いのない「空」の世界には、「色」という体への執着も無ければ、その体を通して「受想行識」の心が迷いを重ねることも無い

という意味になります。

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