心無い質問に対してお釈迦様が語った言葉とは

今回は、お釈迦様にまつわるお話をご紹介します。

お釈迦様が托鉢に出かけられたときに出会った「バラドヴァージャ」というバラモン僧と交わした言葉の一部始終です。

ある日、お釈迦様が托鉢に出かけられたとき、バラドヴァージャというバラモン僧が、収穫した食物を貧しい人々に配っているところに出くわします。

お釈迦様は、その配られているところに近づき、食物を受けるために立たれました。

するとバラドヴァージャはお釈迦様に向かってこう言います。

沙門(修行僧のこと)よ、私は耕して種を播き、それを収穫して食べている。
あなたも種を播いて収穫して食べるのがよろしいのではないか。

お釈迦様はこう答えます。

バラモンよ、私もまた耕して種を播き、それを収穫してから食している。

バラドヴァージャは、

そう言われても、あなたにはくびきすき鋤先すきさき突棒つきぼうも牛も持たれていないではないか。

すると、お釈迦様は答えられました。

私にとっては、信仰が種である。
苦行が雨であり、知慧が軛と鋤である。
じることが鋤棒すきぼうであり、心が縛る縄である。
気を落ち着けることが鋤先と突棒である。

身を慎み、言葉を慎み、食事を節して過食しない。
真実を守ることを草刈りとしている。

努力が軛をかけた牛であり、安らぎの境地に運んでくれる。
退くことなく進み、そこに至ったならば憂えることがない。

この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。
そして、あらゆる苦悩から解き放たれる。

こうして耕して種を播き、食しているのである。

それを聞いたバラドヴァージャはお釈迦様に深く帰依したとのことです。

人間は労働という義務を果たさないと生きていけません。
与えられた義務を果たさず、遊んで一生を終えた者には過酷な来世が待っているでしょう。

バラドヴァージャは、自分は実際に田を耕して種を播き、目に見えるモノを収穫するという労働を果たしているのに、実際に田を耕していないお釈迦さまに対して疑問を投げかけるのですね。

確かに田を耕して収穫した食物を食べなければ生きていけませんから、これも立派な労働にはちがいありません。しかし、これはこの世だけ通用するモノです。

お釈迦様は、この世、あの世を通して永遠に生きる道理、真理を人々に説いて回ることで、人々の心を癒して救いに導かれたわけですから、これ以上の労働はないということになりますね。

お釈迦様の言葉をすぐに理解し、労働に対する認識が浅かった自分を反省してお釈迦様に帰依したバラドヴァージャは、その後悟られたそうです。バラドヴァージャも相当な修行を積まれた方だったということなのでしょうね。

お釈迦様に訊かないと分かりませんが、パラドヴァージャという人物を認め、導くために托鉢の列に並んだのかもしれませんね。

私も、自分に与えられた義務を果たしてまいりたいと思います。