般若心経はなぜ難解なのか?その5つの理由を挙げてみました

難解といわれる般若心経の意味を分かりやすく簡単な言葉で解説しました

宗派に関係なく大乗仏教の根幹をなす経典として、多くの人々に親しまれている般若心経はんにゃしんぎょう

写経をすることで心が静まるということから、お寺だけではなく自宅でも写経を始めている人が多いと聞きます。

無心になってひたすら文字を書き写すことで、穏やかな気持ちになることがその目的だそうですが、はたして般若心経に書かれている文の意味を理解している人はどれだけいるでしょうか

実際、多くの解説書やネット上などでも解釈がなされていますが、内容もさまざまな上によくわからないものが多いですね。

何でもかんでも「無」「空」として実体のないものにしておきながら、最後には最高の「悟り」を得ると解釈されているものがほとんどです。

しかし、なぜ「無」から「悟り」につながるのかは全く書かれていません

ここに般若心経の難しさがあります。

お釈迦様は本当にすべて「無」であるとしたのでしょうか。もしそうだとすると45年も説法を続けることはできなかったと思います。この世は実体のあるものとしたうえで、ご自身が悟られた正しい智慧を人々に説いて回られたのだと思います。

ここでは般若心経がどのようにしてできたか、なぜ難解な経典になったかをお伝えしたいと思います。

般若心経はこのようにしてできた

20以上に分裂した釈迦教団

どの世界にもあることですが、創始者(教祖)が不在になると集団は結束力を無くして分裂してしまうものです。

涅槃(出典:Wikipedia)

釈迦教団も、お釈迦様が昇天されたあと、教えに対する解釈のちがいから20以上の教団に分裂したようです。

小集団となったそれぞれの教団は、その小さな枠の中で自分自身の阿羅漢あらかんへの悟りを目指しますが、困るのは在家の信徒さんです。どこの教団でどう学んでよいか迷ってしまうからです。

そこで生まれたのが大乗仏教です。大乗とは、多くの人々がみんなで大きな乗り物に乗って彼岸に渡りましょうという教えです。自分自身の悟りより衆生の救いを優先しています

ちなみに日本に伝わってきたのもこの大乗仏教です。

アショーカ王が提唱した大乗仏教

大乗仏教を始めたのは在家の信徒さんであったアショーカ王といわれています。

武将であったアショーカ王は武力で全インドを平定しようとしましたが、お釈迦様に深く帰依をすることにより、武力による平定は平和ではないと気づきます。

仏教帰依によるインドの平定を目指したアショーカ王は、菩薩教団ぼさつきょうだんを作り、インド各地に仏塔を建立しました。

王の気持ちを理解した民衆も僧侶も、菩薩教団こそが仏の教えであるとして仏塔に集まり、インドの平定とともに大教団ができあがったのです。

お釈迦様が昇天されてから400年後に完成した般若心経

アショーカ王の呼びかけで集まった優秀な僧侶たちによって経典が作られていきました。

お釈迦様が語られたことを綴っていくものなので、僧侶たちによっては「このように語った」「あのように語った」として積み上げてみるとかなりの量にのぼります。このようにしてできあがった大般若経だいはんにゃきょうは実に600巻に及ぶ膨大なものとなりました。

できあがってみると膨大さのあまり、説くことも読み上げることも不可能です。そこで色々考えられた末に要約されたのが「般若心経」といわれるものです。

この般若心経ができあがったときは既にお釈迦様が昇天されてから400年以上経っていました。

梵語から漢訳されて現在の般若心経となる

梵語で書かれた般若心経を最初に漢訳したのは、鳩摩羅什くまらじゅう(梵語:クマーラジーヴァ/西暦344~413年)という中国の僧侶でした。インド人の父を持つ彼は7歳で出家してインドに渡り、竜樹りゅうじゅ(梵語:ナーガールジュナ)の門下生となります。

鳩摩羅什 (出典:Wikipedia)

帰国後、多くの経典を漢訳しましたが、その中の一つ「摩訶般若波羅蜜大明咒經」が現存する最古の漢訳とされています。

このころから仏教はインドから中国のものへと移り変わっていったようです。

その後、玄奘三蔵げんじょうさんぞう(西暦602~664年)も漢訳して現在の般若心経となり、日本でも親しまれる経典となりました。

般若心経が難解であるといわれる5つの理由

先にも述べた通り、般若心経ができたのはお釈迦様が昇天されてから400年以上も経ってからのことです。

その中で僧侶達からお釈迦様の言葉として口伝くでんで伝えられたものをかき集め、それが膨大となったからといって削り、更に漢字に置き換えたものとなると、難解にならない方がおかしいというものです。

現在の般若心経が難解だといわれる理由を挙げてみると5つ出てきました。

  1. お釈迦様が本当に語られた言葉なのか分からない
  2. お釈迦様の真意が弟子に正しく伝わっているのか分からない
  3. 膨大な量を削ったために解釈が変わってしまったのではないか
  4. 梵語に対応する漢字が無い場合、別の文字を当てることで解釈が変わってしまっているのではないか
  5. そもそも訳者自身が正しく解釈できているのか分からない

お釈迦様という偉大な聖者が悟られた智慧を、正しく理解できているかどうかということは誰にも分かりません。心で悟られたものを文字で表現するには限界があるからです。自分自身がお釈迦さまと同じ心境にまで昇りつめないかぎり無理な話です。

砂糖の甘さをいくら詳しく説明されたところで、実際に舐めてみない限りその甘さを実感できないことと同じです。

このサイトでお伝えする般若心経の解釈も、お釈迦様の真意を正しく伝えられているかどうかは分かりません。

でも一人でも多くの方の心が安らぎ、安心できれば幸いです。